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2017.09.12

昭和蔵人1

昭和33年2月調
栃木県清酒製造業従業員名簿
栃木県酒造組合

株式会社 虎屋本店 8名(宇都宮市)
株式会社 小林杢三郎商店 7名(宇都宮市)
株式会社 外池荘五郎商店 25名(宇都宮市)
豊菊酒造株式会社 7名(宇都宮市)
株式会社 井上清吉商店 7名(河内郡河内村)
鶴ノ峰酒造株式会社 6名(宇都宮市)
株式会社 小堀酒造店 6名(宇都宮市)
宇都宮酒造株式会社 9名(宇都宮市)
星野酒造株式会社 10名(栃木市)
飯島 寛 7名(栃木市)
小田垣酒造株式会社 7名(下都賀郡壬生町)
西堀酒造株式会社 8名(下都賀郡間々田)
株式会社 大津屋商店 8名(小山市)
一徳酒造株式会社 16名(小山市)
皇威酒造株式会社 8名(下都賀郡大平村)
若駒酒造株式会社 10名(下都賀郡美田村)
杉田酒造株式会社 8名(下都賀郡美田村)精米係下都賀郡
相良酒造株式会社 11名(下都賀郡岩舟村)
株式会社 藤沢本店 12名(下都賀郡岩舟村)
大平酒造株式会社 8名 (下都賀郡大平村)
鈴木酒造有限会社 15名(下都賀郡藤岡町)
三福酒造株式会社 6名(下都賀郡美田村)精米係下都賀郡
三和酒造株式会社 6名(下都賀郡都賀村)
渡辺万吉 6名(栃木市川合町)
日光酒造株式会社 6名(下都賀郡大平村)
小林酒造株式会社 6名(下都賀郡美田村)
寺内酒造株式会社 7名(鹿沼市)
協和発酵工業(株)栃木工場 21名(上都賀郡西方村)
株式会社 渡辺佐平商店 9名(今市市)
片山酒造株式会社 7名(今市市)仂キ今市市
矢部酒造株式会社 7名(上都賀郡西方村)精米係上都賀郡西方村
飯沼銘醸株式会社 5名(上都賀郡西方村)
中森酒造株式会社 7名(足利市)
株式会社 和泉酒造店 8名(足利市)
高田屋酒造有限会社 5名(足利市)
中村由初 7名(足利郡豊田村)
第一酒造株式会社 18名(佐野市)
箕輪酒造株式会社 6名(佐野市)
吉井酒造株式会社 6名(佐野市)精米係佐野市
相沢酒造株式会社 7名(佐野市)
浅野酒造株式会社 5名(阿蘇郡田沼町)
福元酒造株式会社 7名(佐野市)仂キ阿蘇郡田沼町、精米係足利郡豊田村
竹村長左衛門商店 15名(真岡市)
株式会社 辻善兵衛商店 6名(真岡市)精米係真岡市
有限会社 村田酒造店 5名(芳賀郡二宮町)
株式会社 吉村商店 7名(芳賀郡二宮町)
株式会社 外池酒造店 7名(芳賀郡益子町)
株式会社 阿部酒造店 8名(芳賀郡茂木町)
株式会社 島崎泉治商店 8名(芳賀郡茂木町)
株式会社 河野惣兵衛本店 9名(芳賀郡市貝村)
塩田猪司郎 6名(芳賀郡芳賀町)
有限会社 鈴木酒造店 5名(芳賀郡益子町)
和楽酒造株式会社 10名(芳賀郡芳賀町)
株式会社 茂筑酒造店 6名(塩谷郡矢板町)
森戸酒造株式会社 7名(塩谷郡矢板町)
株式会社 松井酒造店 8名(塩谷郡塩谷村)精米係、仂2名塩谷郡塩谷村
合資会社 小島酒造店 5名(塩谷郡塩谷村)
仙禽酒造株式会社 6名(塩谷郡氏家町)杜氏はじめ蔵人5名兵庫県、精米係塩谷郡氏家町
株式会社 丸天手塚酒造店 11名(塩谷郡氏家町)
株式会社 富川酒造店 6名(塩谷郡矢板町)
株式会社 島崎酒造店 12名(那須郡烏山町)精米係芳賀郡市貝村
酒主醸造株式会社 8名(那須郡烏山町)
株式会社 白相酒造店 7名(那須郡小川町)
高杉酒造株式会社 12名(那須郡小川町)
金子正一郎 6名(那須郡馬頭町)店員茨城県水戸市
栄冠酒造株式会社 13名(那須郡馬頭町)
脇村酒造株式会社 12名(大田原市)
池島酒造株式会社 7名(大田原市)
島崎酒造株式会社 9名(大田原市)
天鷹酒造株式会社 14名(那須郡湯津上村)
渡辺酒造株式会社 7名(那須郡黒羽町)
株式会社 平山酒造店 7名(大田原市)
合名会社 熊久保商店 7名(那須郡黒磯町)
菊の里酒造株式会社 6名(那須郡湯津上村)

74場 総計 627名
内訳
609人 新潟県民
12人 栃木県民(主に精米係)
5人 兵庫県民(杜氏蔵人)
1人 茨城県民(店員)
*市町村名は当時のまま記載しております。
仂=働

昭和33年2月現在では栃木県の酒は一場除き、他全蔵が越後杜氏によって酒を仕込んでいたことがわかります。
平成29年9月現在、栃木県内に越後杜氏は一人もいません。
また現在酒造組合に属している蔵32場(属していない蔵を含めると34場)
約60年の間に半分以下に減ってしまったことになります。

蔵が減っていった歴史の大きな流れの中に以下のようなことがあります。
「昭和初期、世界的経済恐慌や戦時体制にともなって中小企業の再編成や整理統合が徐々に実施されるようになり、多くの蔵元が休業や廃業の途を余儀なくされました。
昭和16年(1941年)には「企業許可令」(整備、統合の基礎確立)が、
また17年(1942年)には「企業整備令」(各種整備要綱に法的強制力を与える)が公布施行され
中小企業の再編成が強力に推進されることとなりました。
清酒の原料米の配給が年々減少する状況下で酒造業界でも整理統合は必至となり、
昭和18年(1943年)の酒造組合法の改正では組合の目的に「酒造業の整備発達」が追加され、整備すべき工場を操業、保有、転用及び廃止に分けられました。
清酒業界における一大変革と言われるこの「企業整備」により酒造家は各税務署単位に統合され新会社を設立、
または単独操業工場として残存、更には保有工場として権利を保有、
または廃業することとなり、整備前は125あった県内酒造場数は整備後に48となりました。
都道府県毎の整備割合は全国一律ではありませんでしたが、半数の製造場が転廃するという清酒業界前代未聞の苦難の事態を迎え、幾多の悲劇を秘めつつ、昭和19年(1944年)春までに完了となりました。 」
秋田県酒造組合HPより引用

秋田県酒造組合のHPに記載されいるように
*昭和16~19年の間に蔵の数は約半数に減り
昭和55年に約3,000場
平成26年には約1600場と減り続けています。

*(上記は秋田県の場合ですが全国的に同様な政策が実施されていたことを考えると
事情はどこも同じようだったと思われます。
現に弊社のそばにもう一軒酒蔵がありましたがこの政策で廃業を余儀なくされたと聞いています。
その蔵は数年前まで当時のまま佇んでおりました。
うちが立地上、上の蔵、もう一軒が下の蔵と呼ばれていたそうです)

こういうことを思う時、どんなに大変でも出来る限りこの蔵を守り続けていくために
今、私たちは選ばれてここにいるという事を強く感じます。

写真はちょうどこの名簿に名前がある弊社の蔵人達の写真です。
店舗に飾ってありますのでお出かけの際にはぜひ見ていってくださいね。

 

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